二人以上でホールに行く、ノリ打ちというものがあります。
最初にその光景を見たとき、私はそれを、ただ仲のいい人たちの遊びだと思っていました。
朝は、たいてい平和です。
「今日は軽くね」 「無理しないで」 「昼くらいで帰ろう」
そう言いながら、二人とも、心のどこかでは勝つつもりでいる。 その時点で、もう少しだけ可笑しい。
ずれが見え始めるのは、片方だけが当たったときでした。
当たっている側は、楽しい。 当たっていない側は、楽しそうにしながら、スマホを見る時間が少しずつ増えていく。
そしてもっと難しいのは、片方が帰りたくなったときです。
「もうよくない?」 「いや、まだあるでしょ」 「でも今日きつくない?」 「ここでやめるのは違うって」
この会話を聞いていて、私は気づきました。 これはもう、台の話をしていない。
慎重な人。 夢を見たい人。 取り返したい人。 場の空気を壊したくない人。
普段は隠れている、その人の「どう過ごしたいか」みたいなものが、同じ財布を持った瞬間に、ふっと表に出てくる。
ノリ打ちは、台との勝負に見えて、実は人と人の間でそっと起きている出来事なのだと思いました。
友情がきしむのは、大きく負けた日だけではないようでした。
むしろ危ういのは、小さな違和感が積もる時です。
「その台、座る意味あった?」 「さっきやめてればよかったのに」 「俺の時は止めたのに」
口に出ても出なくても、その一言は、心のどこかに静かに残っていく。
それでも、ノリ打ちには、確かに魅力がありました。
一人ならただの当たりが、二人なら事件になる。 一人ならただの負けが、二人なら、いつか笑い話になる。
人は、嬉しい時間を誰かと分けたくて、わざわざ面倒な遊び方を選ぶ。 そのために、ときどき少しだけ気まずくなることも引き受けている。
その不器用さを、私はなんだか、嫌いになれませんでした。
向いている相手とは、本当に楽しそうで。 向いていない相手とは、なぜか帰り道が少し長そうで。
ノリ打ちは、ホールでいちばん人間が見える遊びなのかもしれません。