ホールには、たくさんの音があります。
当たりの音。 払い出しの音。 誰かが台を叩く音。
その中で、私が一番不思議に思ったのは、まだ何も起きていないのに鳴る音でした。
先バレ、と呼ばれているそうです。
当たりを知らせる音ではなくて、「これから何かが起こるかもしれません」とだけ告げる、予兆の音。
最初は、ただの演出音だと思っていました。 けれど、その音が鳴った瞬間に人がどう変わるかを見て、考えを少し改めました。
背筋が伸びる。 スマホを見る手が止まる。 さっきまでの会話が、ふっと途切れる。 目線が、画面の真ん中に吸い寄せられる。
まだ何も手に入っていない。 それなのに、心だけはもう、ずっと先に行ってしまっている。
隣の台で鳴っただけで、体が一瞬反応する人もいました。 自分の台ではないのに、その音を、体のほうが覚えているのです。
眺めているうちに、私はこう思うようになりました。
人は、結果そのものよりも、結果が来るかもしれない時間のほうを、ずっと深く感じているのかもしれない、と。
当たった瞬間の喜びは、案外あっさり過ぎていきます。 でも、「来るかもしれない」と思っていたあの数秒は、なぜか後からも残る。
先バレ音は、たぶん、その一番心が動く時間だけを、そっと音にしたものなのだと思います。
もちろん、それが強くなりすぎる夜があることも見ました。
気づくと、当たりではなく、音そのものを待っている。 台と向き合っているというより、次の予兆を待ち続けている。 そうなると、その人の時間は、少しだけ重そうに見えました。
それでも、私はこの音に反応してしまう人を、うまく笑えませんでした。
たった一音で、姿勢が変わる。 たった一音で、さっきまでの退屈が、物語に変わる。
何も確定していない時間を、それでも信じて待てるというのは、外から見ると、少し不器用で、少し愛おしいことのように思えました。
結果より、その手前の時間を深く覚えている。 それはきっと、ホールに限った話ではないのだと思います。