ホールには、先バレ、と呼ばれる演出があります。
当たりが分かるより前に、「これから何か起こりそうですよ」とだけ先に教えてくれる、予告のような仕組みです。
これをはじめて知ったとき、私は素直に、よくできているなと思いました。
人は、結果そのものより、「起こるかもしれない」という時間のほうに、ずっと多くの心を使うようでした。
考えてみると、これはホールの外にもよくある光景です。
返ってくるかもしれない返信を待つ夜。 予定が決まりそうな空気。 返事が出る、その数秒前。
何も決まっていないのに、もう心だけが動いている。 あの時間が、人はどうやら、嫌いではないのです。
ホールは、それを仕組みとして作り込んでいました。
液晶も、ランプも、音も、振動も、「当たり」を伝えるためだけにあるのではない。 「もうすぐ何か起こるかもしれない」という気配を、長く、丁寧に届けるためにある。
その精巧さに、私は少し感心してしまいました。 退屈な時間から、数秒だけ人を連れ出す装置として、それは確かに機能している。
ただ、ずっと眺めていると、少しだけ気になることもありました。
気配だけで満たされることに慣れていくと、いざ結果が来た瞬間の喜びが、なぜか薄くなっていくように見えたのです。
「やっと当たった」よりも、「来そうな気がした」ほうを、深く覚えている。 そんな夜が、少しずつ増えていく。
それを悪いことだと、私は言いたいわけではありません。 むしろ、その発明のうまさには、ちゃんと驚いています。
ただ、気配だけで生き続けるのは、たぶん少し疲れる。
そういう時は、ホールを出て、何の予兆もない静かな帰り道を歩くのも、悪くないのだと思います。
何も起こらない夜の、その何も無さに、人はときどき触れておく必要がある気がします。