閉店の時間が近づいた、あの少しだけ妙な時間のことを、私はよく覚えています。
もう帰ろう、と本人も思っている。 それなのに、足が止まらない。 気づくと、空いていた一台に、もう座っている。
最初は、勝ちたいから座るのだと思っていました。 でも、見ているうちに、たぶんそれだけではないと感じるようになりました。
大きく勝った日は、すっと帰れる。 はっきり負けた日も、案外すぐ帰れる。
帰りにくいのは、その間の、何とも言えない日でした。
少しだけ負けていて、 もう少しで何か起きそうな気配だけが残っていて、 今日が何だったのか、まだ自分でもよく分からない。
そういう日に、人はなかなか席を立てないようでした。
たぶん、勝ち負けよりも、「ここまでやった」という区切りが欲しいのだと思います。
納得しないまま一日を閉じるのが、人はあまり得意ではないのかもしれません。
これは、ホールだけの話ではない気がしました。
終わらせ方を見失うこと。 やめ時を、ほんの少しだけ逃すこと。 それは、長引きすぎた夜や、切れない長電話にも、どこか似ています。
ホールという場所は、たぶんその「終われなさ」を、少しだけ強く引き出すように作られている。 照明も、音も、空き台のリズムも、終わりをほんの少し先に延ばすほうへ効いている。
それでも、と私は思います。
「自分は今、勝ちたいのか。 それとも、ただ納得して終わりたいだけなのか」
その一行を、心の中で確かめられた人は、たいてい、もう座らずに帰っていきました。
帰り道で、夜の風が少しだけ心地よさそうに見える。 そういう終わり方も、たぶん、ひとつの勝ちなのだと思います。